準備の考え方
準備ができた。 過去にそう思えたことはあったかもしれない。 でも、だからといって結果が良かったわけではない。
先日読んだ記事に、面白い話が書かれていた。 モーツァルトは大きな借金を抱えたまま亡くなり、スティーブ・ジョブズは膵臓がんの標準治療を受けず、にんじんジュースや鍼灸に頼った結果、治療の開始を9か月遅らせた。アイザック・ニュートンは晩年、株式投機で財産の大半を失っている。 偉大な業績を残した人たちも、決して「完璧な大人」ではなかった、という話だ。
記事には、こんな言葉もあった。 「大人など存在しない。」 みんな、人生を初めて生きている。 ただ、それぞれの年齢になっただけなのだ、と。 そうだとしたら、「準備ができた」という日は来るのだろうか。 振り返ってみても、「準備ができた」と思って始めた仕事は一つも思い浮かばない。 店も、学校も、映画も、写真展もそうだ。 もちろん準備はする。 できる限り調べ、考え、仲間と議論し、計画を立てる。 でも、その通りに進んだことはほとんどない。 むしろ、本当に面白い仕事ほど、現場で何度も修正を繰り返しながら目的へ近づいていった。
このコラムを書いていて、一つ気が付いたことがある。 多くの人は、本番までが準備で、本番が始まれば実行だと思っている。 でも、僕は違う。 本番が始まってからも、ずっと準備をしている感覚で仕事をしている。 だから現場に立つと、改善点が次々と見つかる。 一度決めたことを翌日に変えることもある。 「昨日決めたばかりですよね」 と言われることも少なくない。 でも、新しい情報が入り、状況が変われば、予定を変えるのは自然なことだと思っている。
守るべきなのは計画ではなく、目的だ。 目的が変わらないのであれば、方法は変わってもいい。 いや、変わるべきなのかもしれない。 予定通りに進んだということは、自分が想像できる範囲で終わった、ということでもある。 もちろん、それで十分な仕事もある。 でも、誰もやったことのないことに挑戦するなら、それでは足りない。 本番で学び、本番で修正し、本番でまた準備をする。 その繰り返しの先に、新しい景色がある。 僕にとって準備は、本番が始まっても終わらない。
